好きな人の誕生日を、知っていた。
でも「おめでとう」が送れなかった。
その日は普通に過ぎていって、翌日も、その翌日も。ただそれだけのことが、ずっと引っかかっている。
「おめでとう」が言えない関係
誕生日を知っているのに、連絡できない。
友だちや同僚なら、誕生日に一言送ることは自然だ。でも好きな人に送ると、何か意味が生まれてしまう気がして怖い。「なんで知ってるの?」と思われるかもしれない。「意識してると思われる」と考えてしまう。
送りたい気持ちはある。でも送れない。その間に、誕生日が終わっていく。
「おめでとう」の一言が言えない関係って、何なんだろうと思う。特別なわけじゃないか、特別すぎて動けないか、そのどちらかだ。好きな人への「おめでとう」は、後者だった。
何度もスマホを開いて、閉じた
あの日、何度スマホを開いただろう。
LINEを開いて、名前をタップして、「お誕生日おめでとう」と打って、消した。それを何回もやって、結局送らなかった。
送ったとして、何が変わるわけでもない。でも送らなかったことで、何かを失った気もした。
好きだから踏み出せない。好きだから動けない。好きでいることが、そのまま自分を縛っている。それがはっきりわかった一日だった。
誕生日が過ぎても、引っかかっている
誕生日の翌日、あの人は普通だった。
何も変わっていなかった。わたしが何を迷っていたかも、知らない。
それがわかってよかったような、悔しいような。誕生日に特別なことが起きるわけじゃない。でもあの一日が、片思いの重さをはっきり見せてくれた気がした。
言えなかったのは、これだけじゃない。もっとたくさんの「言えなかった」が積み重なって、今がある。そのひとつひとつを、自分だけが知っている。
言えなかったことを、責めなくていい
「送ればよかった」と思うかもしれない。
でも、送れなかったのには理由がある。傷つきたくなかったから。関係を壊したくなかったから。「意識してる」と思われたくなかったから。
それは弱さじゃない。好きだからこそ、慎重になってしまうだけだ。
言えなかった「おめでとう」は、その人への気持ちが本物だった証拠だと思う。来年のその日が来たとき、また迷うかもしれない。それでもいい。
言えない気持ちについては、好きだけど、言えない。その理由と、少し楽になる考え方。
連絡したいのに動けない夜については、連絡したいけど、我慢してる。。